「菊水」の由来。
「菊水」
筆者の名前に頂いている「菊水」。菊水とは楠木正成の旗印の名称です。沖縄における航空総攻撃「菊水作成」もこれに由来している。
楠木正成
楠木正成とは鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した人物で、後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒に貢献した人物です。
楠木正成の詳しい出自は判明していないのですが、幕府打倒後に新政権下(建武の新政)では記録所の寄人に任じられるなど存在は確かな人物です。
しかし、最期には後醍醐天皇による武士軽視な政策が災いし、湊川の戦いで戦死を遂げました。
後醍醐天皇の配下の武士が次々に離反していくなか、最期まで忠誠を尽くした楠木正成は近代日本の教育に大きな影響を与えました。
菊水作戦
菊水作戦とは敗戦間近の1945年4月6日から6月22日の期間に、10度に渡って行われた航空総攻撃の名称です。
この作戦には陸海軍1827機の特攻機が突入、3067名が戦死されました。また、特攻の影に隠れていますが特攻機の突入を支援した作戦機(制空、索敵、欺瞞、攻撃)でも数多く未帰還となりました。
この他に菊水作戦に呼応した戦艦大和の水上特攻、潜水艦部隊による回天特攻隊、特殊潜航艇、挺身水上艇などあらゆる手段を用いて日本を守ろうと果敢に、その限りある命を散らしました。
沖縄戦で他に忘れてはならないのは、島田叡沖縄県知事や荒井退造警察部長などの行政職員の犠牲と努力だと思います。
彼らは軍と協力しながら、時には対立しながら県民のために尽力しました。
立場や方向性は異なれども尽くした誠は同じでしょう。
今では風化しつつある歴史を少しでもご紹介することができれば幸いです。