(4) 日本戦跡探訪 第二河和海軍航空隊跡
波間に浮かぶ海鷲
河和海軍航空隊
河和海軍航空隊(以下河和空)は1943年と1944年、系統の異なる部隊として開隊されました。
1943年に開隊された第一河和海軍航空隊(以下第一河和空)は、機体の整備教育を行うための練習航空隊でした。第一河和空は整備教育を行っていた追浜海軍航空隊を源流とします。
第一河和空には最盛期には9000名が在籍し、整備員の育成に努めました。
1944年に開隊された第ニ河和海軍航空隊(以下第ニ河和空)は、水上機搭乗員の育成を行うための練習航空隊でした。第ニ河和空は小松島海軍航空隊の知多派遣部隊を源流とします。
1944年8月には新型水上戦闘機である強風の配備が始まり、二式水戦などの各種水上機を配備しました。
戦況の悪化に伴い第ニ河和空も中京地区の防空戦に参加し、1945年1月19日にはB29の撃墜を報じました。
また河和空でも特別攻撃隊の編成が下令され、2月26日には御楯隊(河和隊)を編成し、以降は強風などによる迎撃戦と河和隊の訓練に従事します。
しかし1945年の6月には河和基地が攻撃を受けるようになり、機材の秘匿と維持で活動が低調となりました。
河和隊は1945年8月5日、特攻出撃のため九州は玄界灘基地(玄界灘海軍航空隊)に進出し8月15日の出撃が決定するも、玉音放送により出撃取り止めとなり24日には原隊に復帰し武装解除となりました。
河和海軍航空隊 スベリ(水上機滑走台)
今では周囲をソーラーパネルに囲まれたこの地には、河和空の歴史を残す遺構は少なくなりました。
現在河和漁港に残っているスベリは数少ない遺構です。この規模のスベリは全国的にも珍しく、他には四国の詫間海軍航空隊跡にもスベリがあります。
(上の写真は河和空スベリより撮影)
今となっては水上機の爆音も響かなくなって久しい滑走台ですが、この地で感じる波の音や風の音、山々の景色は当時とほぼ変わらないはずです。
筆者が滑走台に立って目を瞑ると波の音が響き渡り、戦時中の訓練生や教官の方々も波の音に耳を傾けたのかとタイムスリップをしたような感覚を味わえます。
滑走台だけのために河和にくるのは大変に思われます。先人を偲ぶ傍らで知多の海の幸も一緒にご堪能されるのが良いと思います。