菊水のブログ

太平洋戦争などに興味がない人や知識がない人に、少しでも先人の思いを伝えるために開設しました。どちらかと言うと詳しい人向けではないのですが、還らざる先人の軌跡をご紹介できれば幸いです。

航空戦史(1) 九州沖航空戦

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沖縄戦の前哨戦

九州沖航空戦

1945年3月18日〜21日まで続いた航空戦である。

一連の航空戦により、迎撃戦を担任した日本海軍は作戦機を258機以上失った。なかでも第五航空艦隊に打撃を受けたほか呉空襲のため日本海軍艦艇多数に損害を受けた。

米海軍は空母三隻を撃破され艦載機89機を失った。

 

あまり知名度のない戦いではあるが、沖縄戦において大きな影響を与えた。この九州沖航空戦が発生した原因は沖縄攻略を図る米軍による牽制にあった。

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1945年3月18日

1945年3月18日、九州沖航空戦が勃発。牽制のために九州や瀬戸内海に米機動部隊が来襲。12隻の空母と艦載機1400機に対し、日本海軍が作戦機400機(うち特攻機193機)で反撃。


戦闘初日である18日、日本軍攻撃機は193機の攻撃機のうち161機を喪失。迎撃戦に参加した零戦も47機を喪失した。対する米軍は空母三隻が小破、被撃墜29機であった。

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1945年3月19日

1945年3月19日、九州沖航空戦二日目。

米機動部隊が室戸岬から80kmまで接近、呉軍港に空襲を開始。日本海軍艦艇に損害多数。

 

松山上空にて三四三空所属機(紫電紫電改)が迎撃戦を展開、米艦載機多数を撃墜した。

この際に日本軍索敵機彩雲が被弾後に体当たりを敢行、空中にて衝突した機体は四国は高知県高岡郡に墜落した。

現代でも戦没した搭乗員を慰霊するため、三魂の塔と言われる慰霊碑が建立され御霊を弔っている。


この日、日本海軍は出動可能な全航空戦力で反撃を開始、米機動部隊に対して特攻を交えた攻撃を加えた。


攻撃は黎明より開始され、雲間を低空にて突き抜けた陸上攻撃機銀河より投下した爆弾を米空母が被爆、必死の攻撃が続き19日中に米空母二隻が大破し他一隻が修理のため離脱した。

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1945年3月20日

1945年3月20日九州沖航空戦三日目、相変わらず日本軍による反撃はつづいた。

陸海軍は米機動部隊の攻撃目標を19日時点では、それぞれ台湾小笠原と見ていた。

しかし、20日時点での情報の集計より敵攻撃重点を南西諸島として、決戦場南西諸島とした。


この方針に基づき航空戦力の集結を開始、敵主力を沖縄方面で撃滅するとした。

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1945年3月21日

1945年3月21日、有人ロケット弾桜花を実戦投入。桜花部隊(神雷部隊)は機動部隊突入前に米戦闘機により迎撃され全滅した。


神雷部隊指揮官の野中五郎少佐は出撃前より同部隊の運用に疑問を呈していたが、その意見が取り入れられることはなかった。


この時の教訓から、以降の桜花運用は少数機を間隔を空けて出撃させる運用となる。