「四国における旧海軍戦跡調査」7
「四国における旧海軍戦跡調査」
旧高知海軍航空隊跡地
前浜掩体壕群
高知海軍航空隊(高知空)は1944年3月に開隊された。
高知空は偵察機搭乗員専修の練習航空隊であった。
高知空には約2000名の練習生が入隊し、日夜訓練に励んだ。訓練中に練習機による接触や、敵侵入機による戦闘により多くの隊員が犠牲となった。
戦局の悪化が決定的となった1945年3月、高知空は作戦実施部隊へ改編され飛行教育は凍結された。
しかし作戦機材は練習航空機白菊のままであり、5月5日には保有する白菊全機が特攻機の指定を受けた。
高知空部隊の初出撃は菊水7号作戦5月24日、同郷の徳島海軍航空隊と共に20機で出撃、8機未帰還を皮切りに次々と突入した。
練習機による特攻は実戦機に対する敵の迎撃を引きつける役割を含むなど、軍からの期待は薄かった。
しかし、実際には期待を上回る成果を上げていたことが戦後に判明。
練習機に対する通信機配備が指揮官機のみで指揮官機が撃墜された場合、戦果を報告できないため戦後まで実態は解明されなかった。
今では高知空を伝えるのは部隊慰霊碑とベトン製の掩体壕群のみである。
なお、高知空が使用していた飛行場は「高知龍馬空港」として使用されている。
(現地解説)
かなり狭い範囲に掩体壕が集中しており約一時間で見て回れます。
自動車の駐車場も前浜防災コミュニティーセンターを利用可能でした。