頭上の護り 九七式戦闘機
九七式戦闘機
近代陸軍戦闘機のご先祖さま
幕末よりようやく産業革命に足を踏み入れた日本ですが、航空機開発にはかなりの遅れがありました。
そんななか中島飛行機が世に送り出したのが九七式戦闘機(以下九七戦)で、ようやく列強に追いついたのでありました(スピリットファイアも同世代)。
一見すると引き込み足でもない古めかしい戦闘機に見えますが、頑丈な固定脚は整備状況の悪い飛行場での運用を可能にしました。
ただ、あまりに保守的な設計は九七戦の陳腐化を予感させました。
実戦での九七戦
九七戦は日中戦争より戦線に投入され、輸入した多種多様な戦闘機を駆る中国空軍を圧倒しました。
またノモンハン事変ではソビエト空軍に対し勇戦し、制空権を確保出来たことで陸軍の行動を支えました。
なかでもノモンハン事変でのソビエト空軍による一撃離脱戦法に対し、本機が苦戦した経験は後々の陸軍戦闘機開発を柔軟な物としました。
まさしく九七戦は陸軍兵の頭上の護りだったのです。
一式戦闘機 隼
三式戦闘機 飛燕
四式戦闘機 疾風
五式戦闘機 (右側)
二式戦闘機 鐘馗が抜けているのはご愛嬌で、、、。
なかでも一式戦闘機隼は九七戦持ち前の保守的な手堅い設計を受け継ぎ、大戦を通して活躍しました。
陸軍に多大な影響を与えた九七戦の遺伝子は一式戦闘機以降の陸軍戦闘機に受け継がれていきました。
九七戦の最期
陸軍に多大な貢献をした九七戦でしたが、大戦末期には他の陸軍機と同様に爆装戦闘機となり、米機動艦隊が布陣する沖縄の空に挑んでいきました。
出力の低い九七戦では爆装を施すと離陸すら精一杯であったようです。
現在では博多湾より引き上げられた九七戦が筑前町 太刀洗平和記念館でその翼を休め、搭乗員達と共に護り抜いた日本を見守っています。