菊水のブログ

太平洋戦争などに興味がない人や知識がない人に、少しでも先人の思いを伝えるために開設しました。どちらかと言うと詳しい人向けではないのですが、還らざる先人の軌跡をご紹介できれば幸いです。

(19) 日本戦跡探訪 野島の掩体壕

横須賀市 旧横須賀海軍航空隊跡地 野島の掩体壕 日本で初めて開隊された由緒ある海軍航空隊が横須賀海軍航空隊(愛称 横空)。 練習航空隊の他、新型機材の技術試験などを行い日本の航空産業に多大な貢献を果たした。 戦況不利に伴い1944年2月には伝統ある横空…

「四国における旧海軍戦跡調査」7

「四国における旧海軍戦跡調査」 旧高知海軍航空隊跡地 前浜掩体壕群 高知海軍航空隊(高知空)は1944年3月に開隊された。高知空は偵察機搭乗員専修の練習航空隊であった。 高知空には約2000名の練習生が入隊し、日夜訓練に励んだ。訓練中に練習機による接触や…

「四国における旧海軍戦跡調査」6

「四国における旧海軍戦跡調査」 第343海軍航空隊所属 紫電改 収蔵場所 愛南町 紫電改展示館 この飛行機は大戦末期に海軍が送り出した局地戦闘機 紫電改である。 同機がこの場所に安置されている経緯は戦時中、豊後水道上空における迎撃戦で被撃墜されたとこ…

「四国における旧海軍戦跡調査」5

「四国における旧海軍戦跡調査」 第343海軍航空隊所属 偵察機彩雲 墜落の地 三魂之塔 この慰霊碑は第343海軍航空隊に所属していた偵察機が墜落した場所に地域の住人が建立したものである。 同偵察機は大戦中、太平洋方面より侵入した敵航空機群の侵入を報告…

「四国における旧海軍戦跡調査」4

「四国における旧海軍戦跡調査」 松山海軍航空隊跡地 松山海軍航空隊(松山空)は大戦中に一挙に拡大した航空隊搭乗員の教育体制を補うべく、昭和18年10月1日に松山の地に開隊された。 私も勘違いていたが、松山空はあくまで予科練の機関であり松山海軍航空基…

「四国における旧海軍戦跡調査」3

「四国における旧海軍戦跡調査」 託間海軍航空隊跡地 神風特別攻撃隊出撃の地 託間海軍航空隊(託間空)は需要が拡大した航空機搭乗員の練習機関として開隊された。 本部隊の特筆すべき点は練習機材が練習機ではなく、いきなり実用機(実戦機)となっている点で…

「四国における旧海軍戦跡調査」2

「四国における旧海軍戦跡調査」 観音寺海軍航空隊 観音寺市ふるさと学芸館 実を言いうと正式には観音寺海軍航空隊(観音寺空)は存在しない。 観音寺空は国分海軍航空隊(国分空)を源流とする練習航空隊である。国分空は中等練習機(赤とんぼ)による初歩的な練…

「四国における旧海軍戦跡調査」1

「四国における旧海軍戦跡調査」 特攻機 神龍(地上発射型有人ロケットグライダー) 今では知る人もほとんどいない特攻兵器が神龍です。航空機特攻や特攻艇、有人魚雷、小型潜水艦は知名度がありますが、この神龍を知る人はなかなかいないでしょう。 類似の兵…

暫くぶりに

このようなブログを見られている風変わりな方はいらっしゃるのでしょうか? はてさて此方のブログは私が訪れた戦跡をご紹介していたのですが、最近は更新をしておりませんでした。 これまでは簡単ながら解説なども付けていたのですが、なかなか調べる時間も…

(18) 日本戦跡探訪 全国海洋戦没者慰霊碑

君 今ここに甦る 伊良湖岬 現在デートスポットとして名高い伊良湖岬ですが、その歴史は古く観光スポットとして有名な恋路ヶ浜の名が登場したのは、江戸時代(1808年)の和歌でありました。 また伝説として、身分差の恋故に都を追われた男女がこの地に暮らした…

補足 沖縄戦と牛島大将の選択

敗北を早めた攻勢 既定路線であった南部戦闘 第32軍はなにを求められたのか 現在でも議論の話題となり、牛島氏を批判する上で槍玉に挙げられるのが「首里防衛線の放棄に伴う南部撤退」です。 しかし、先の「牛島陸軍大将の英断」でも述べたように、沖縄本島…

沖縄戦 牛島満陸軍大将の英断

己を滅して 悠久の大義に生きる はじめに 皆様は牛島満陸軍大将(以下牛島氏)をご存知でしょうか? 牛島氏は沖縄戦における日本軍(第32軍)の指揮を執り、圧倒的な戦力差でありながら米軍を沖縄に2ヶ月に渡って拘束した名将です。 一方で戦後には首里防衛線の…

(17) 日本戦跡探訪 小松海軍航空隊跡

飛ぶに翼なく歴史に幕を閉じる 小松海軍航空隊 日進月歩で進化する航空機材はより洗練された搭乗員や管制、戦術、指揮を必要としました。 日本海軍ではより優秀な人材を集めるべく、海軍予科飛行練習生制度を確立し、航空戦力が必要とする人員の育成に励みま…

(16) 明野陸軍飛行学校天竜分教場跡

その歴史、今は見えず 明野陸軍飛行学校 天竜分教場 陸軍航空の歴史は古く、国内において航空機操縦員の育成を始めたのは1912年7月のことでした。 ライト兄弟がライトフライヤー号の飛行を実行したのが1903年12月17日、徳川好敏大尉が日本で初めて動力飛行を…

(15) 日本戦跡探訪豊川海軍工廠慰霊碑

守る翼は空になく 豊川海軍工廠 豊川海軍工廠は愛知県豊川市にかつて存在した日本海軍の軍需工場である。 主に生産していたのは航空機用の機銃と地対空用の高射機銃、各種弾薬だった。 この海軍工廠は1938年に用地選定を行い、鈴鹿とともに豊川市が候補地と…

航空戦史(1) 九州沖航空戦

沖縄戦の前哨戦 九州沖航空戦 1945年3月18日〜21日まで続いた航空戦である。 一連の航空戦により、迎撃戦を担任した日本海軍は作戦機を258機以上失った。なかでも第五航空艦隊に打撃を受けたほか呉空襲のため日本海軍艦艇多数に損害を受けた。 米海軍は空母…

日本情景探訪(2) 駿府城跡

学徒出陣の足音を聞いて やすらぎの塔 最近になって再調査が完了した駿府城であるが、その一角にそれは存在する。 やすらぎの塔と命名されたこの塔は、戦没した勤労動員の学生の御霊が安らかであるように祈り、後世に歴史を伝えるべく建立された。 この塔は2…

(14) 日本戦跡探訪 鈴鹿海軍航空隊

軍都鈴鹿に爆音を響かせて 鈴鹿海軍航空隊 鈴鹿海軍航空隊(以下鈴空)は1938年に偵察機搭乗員(偵察・通信)専修の練習航空隊として開隊された。 同様の練習航空隊は静岡県は牧之原に在空しており、鈴空では約2万名を各航空隊に送り出しました。 最盛期では約3,…

(13)日本戦跡探訪 大井海軍航空隊跡

白菊に想いを乗せて 大井海軍航空隊 大井海軍航空隊(以下大井空)は1942年4月1日、静岡県榛原郡川崎町は大井飛行場にて開隊。大井飛行場は牧之原台地の茶畑を接収し後に増設された。 大井空は同年11月に土浦海軍航空隊を卒業した学生の受け入れを開始し、1944…

(11) 日本戦跡探訪 明治航空基地

東海の護りは南の空に散った 明治航空基地 明治海軍航空基地は1943年より建設を開始し、1944年より第三四五海軍航空隊(以下三四五空)明治派遣隊が実用機(紫電)による訓練を開始した。戦局の悪化に伴い中京圏防空を任務とした。 その後三四五空に続き第ニ一0…

菊水の写真館

菊水が作成した写真を加工した写真です。 こうした写真はブログの表紙に使用しています。 誰かがこれに乗って出撃すると思って作成してはいるけど、出来栄えはイマイチ。 菊水の写真館 零式戦闘機 52型 零式戦闘機 52型(奥に二式水戦) 零式戦闘機とその他多…

(10) 日本戦跡探訪 若桜の碑

国難に立ち向かう若鷲よ集え 岡崎海軍航空隊 岡崎海軍航空隊(以下岡崎空)は1944年2月に第一河和海軍航空隊(以下河和空)の岡崎分遣隊発足にルーツを持ちます。 河和空は第一河和海軍航空隊と第二河和海軍航空隊に分かれており、第一河和空が整備兵の育成を担…

(9) 日本戦跡探訪 伊保原飛行場跡

草薙隊沖縄に向け出撃す 名古屋海軍航空隊と草薙隊 名古屋海軍航空隊(以下名古屋空)は1941年に伊保原飛行場に進出した霞ヶ浦海軍航空隊分遣隊が、1942年に正式に独立し開隊された。 名古屋空の任務は実戦機を配備したような部隊ではなく、練習航空隊として陸…

菊水のブログ 自己紹介と目的

今更ながら、、、 自己紹介 菊水は平成8年生まれで現在は社会人として働いています。学生時代は関西に住んでいましたが、どのようなご縁か愛知県でお勤めをする事となりました。 戦跡を巡るようになったきっかけ もともとは外交安全保障に興味があり、太平洋戦…

(8) 日本戦跡探訪 三重海軍航空隊跡

予科練達が青春を捧げた地 海軍飛行予科練習生 真珠湾攻撃を皮切りに航空戦時代の幕開けを示した日本であったが、時代の最先端機材たる航空機を取り扱うには優秀な人材と適切な訓練を必要とした。 そんな日本海軍の搭乗員需要を支えたのが海軍飛行予科練習生…

新たなる矛 艦上攻撃機 天山

中島 艦上攻撃機 天山 期待の新鋭機 艦上攻撃機 天山(以下天山)は九七式艦上攻撃機(以下九七艦攻)の後継機として期待を持って送り出されました。時期は1943年7月のことでした。 実は天山試作機の初飛行は1941年3月でしたが、中島飛行機が選定した護エンジン…

(7) 日本戦跡探訪 鶉野飛行場跡

沖縄の海に散った白鷲たち 兵庫県 加西市 鶉野飛行場 鶉野飛行場の始まりは川西航空機姫路製作所組立工場の専用飛行場として産声を上げました。 戦争中期以降は海軍の姫路海軍航空隊(以下姫路空)、筑波海軍航空隊(以下筑波空)が進出し、攻撃機搭乗員の錬成や…

頭上の護り 九七式戦闘機

九七式戦闘機 近代陸軍戦闘機のご先祖さま 幕末よりようやく産業革命に足を踏み入れた日本ですが、航空機開発にはかなりの遅れがありました。 そんななか中島飛行機が世に送り出したのが九七式戦闘機(以下九七戦)で、ようやく列強に追いついたのでありました…

北の護り 二式水上戦闘機

二式水上戦闘機 二式水上戦闘機といえばR方面航空隊など南方戦線で活躍したイメージがあるのではないだろうか?。 二式水上戦闘機は島国である日本が飛行場を整備できない場所や、飛行場を整備するまでの仮設防空戦闘機のような物だと理解してくれれば良い。…

日本歴史探訪② 和歌山県 串本町

いざ行かん、潮岬 仕事中に翌日の休みにドライブがしたいと思い立ち、広げた日本地図に「潮岬」と言う文字を見つけた、、、。 帰宅するや車中泊の準備をして出撃。 あっさりと眠気に負けて紀北PAで眠りにつく。 ① 橋杭岩 第一目的地は橋杭岩(道の駅)を目指し…