「四国における旧海軍戦跡調査」2
「四国における旧海軍戦跡調査」
観音寺海軍航空隊
観音寺市ふるさと学芸館
実を言いうと正式には観音寺海軍航空隊(観音寺空)は存在しない。
観音寺空は国分海軍航空隊(国分空)を源流とする練習航空隊である。国分空は中等練習機(赤とんぼ)による初歩的な練習部隊だった。
しかし戦局が悪化し、沖縄防衛戦が開始されると九州地区の各飛行場は菊水作戦参加機や九州の防空部隊が展開することとなる。
しまいには一般道まで使って特攻機を送り出す有様であり、練習航空隊は貴重な飛行場は実戦部隊に引き渡し国分空は観音寺へ移転した。
国分空はこれにより観音寺空と呼ばれることがあり、観音寺空は実在しないながら呼称されることとなる。
観音寺空の特筆すべき点は他の練習航空隊が練習過程を凍結される中で、終戦まで中等練習機による特攻訓練を続けた点である。
幸いなことに観音寺空は特攻出撃する事はなかったが、観音寺空出身者は多数が出撃したものと思われる。
写真は観音寺市故郷学芸館の物です。
観音寺空のブースはごくごく一部で慰霊碑等の場所はわかりませんでした。
ただ地方の施設と侮ることなかれ。
民芸品なんかの品揃えは抜群だし、小学校をいぬきで使っているから理科室は懐かしい匂いがする。