菊水のブログ

太平洋戦争などに興味がない人や知識がない人に、少しでも先人の思いを伝えるために開設しました。どちらかと言うと詳しい人向けではないのですが、還らざる先人の軌跡をご紹介できれば幸いです。

(16) 明野陸軍飛行学校天竜分教場跡

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その歴史、今は見えず

明野陸軍飛行学校 天竜分教場

陸軍航空の歴史は古く、国内において航空機操縦員の育成を始めたのは1912年7月のことでした。

ライト兄弟ライトフライヤー号の飛行を実行したのが1903年12月17日、徳川好敏大尉が日本で初めて動力飛行を成功させたのが1910年12月19日です。

 

そんな陸軍航空の基礎になったのは、当時航空機材の輸入先であったフランスでありました。

時期は1918年7月のこと、フランスより航空機の運用と製作に関する指導を行う旨の申し入れがありました。

翌年にはジャック=ポール・フォール大佐が率いる航空教育使節団(フランス航空団)が来日、実践的な航空教育改革が進みます。

そうした中で登場したのが陸軍航空学校(所沢)でした。明野陸軍飛行学校はこの陸軍航空学校の明野分校を前身とします。

つまり、明野陸軍飛行学校天竜分教場はさらに枝分かれした陸軍航空教育機関でありました。

成長拡大する航空兵需要とそれに対応し、明野陸軍飛行学校の分教場は5箇所に及びました。

分教場一覧

横芝分教所(千葉県)

天竜分教所(静岡県)

原ノ町分教所(福島県)

北伊勢分教所(三重県)

佐野分教所(大阪府)

 

陸軍航空の教育の詳しいお話は明野陸軍飛行学校を訪れてからに致します。

昨年からのコロナ禍により、戦没者慰霊の式典も規模を縮小しているようです。

自らの守るべき者(国や自身の信念も含む)に一度きりの命を捧げられた先人の皆様に永久の感謝と、その御霊が安らかであるようにお祈りを申し上げます。

 

残りは写真といたします。

この三角形は格納庫の跡のようです。旧陸海軍航空を受け継いだ航空自衛隊よりF86を貸与されて展示されています。

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